盟和精工はその社名の通り、
人の「わ」を紡ぎ大切にすることで
成長してきた会社です。

地域社会、お取引先、
従業員とその家族、
それぞれに向き合い
手を取ることで力を発揮し、
誰かのためになることを
成し遂げてきました。

1998-

盟和らしさの日々追求と離陸

4代目社長佐藤 秀樹

4代目社長佐藤 秀樹
将来を見据えた数々の施策を実施。ISO9001の取得や、弥富湾岸工場の竣工、本社工場の弥富・弥富湾岸工場への移管統合という一大プロジェクトを完遂。「ひとつのメイワ」の足掛かりを造るとともに、リーマンショック、東日本大震災による景気低迷、そして自動車の100年に1度の変革期と言われる混迷の時代にバランス感覚を持った舵取りを行い、新事業の礎となる部署(MS事業部)の立ち上げを手掛けています。
「今日のままでいいのか」を日々問いかけ、「6S(整理・整頓・清掃・清潔・躾・しっかり)」を基本に、業務改革にまい進。
主力取引先(アイシン様)との更なる関係強化に尽力。ドアロック コントロールケーブルの共同開発や、熊本地震で被災したアイシン九州様のバックアップ対応、樹脂成型ラインの移管も完遂し、より多品種な生産に対応できるよう、業容を拡大しました。
 また、VISION2025のベースとなる考え方「自ら考え・自ら学び・自ら動く」を従業員に浸透させるとともに、毎年1~2名を「TPS留学」としてアイシン様に1年に渡って派遣する制度や、外部研修の受講制度確立、社内教育機関(アカデミー室)の設立など、広い視野を持つヒトづくりに注力し続けています。
「6S(整理・整頓・清掃・清潔・躾・しっかり)」を基本に、業務改革にまい進
1970-1998

現状を破り未来を創る挑戦

3代目社長佐藤 正明

3代目社長佐藤 正明
大戦から帰還後に大山製作所に入社、高度経済成長・オイルショック・円高加速・バブル景気という時代を駆け抜け、事業の拡大に挑戦し続けました。
1980年には、現在の社名に変更。1983年には旧本社隣地に第2工場を、そして、1991年に現在の本社・弥富工場である試作専門工場「次代のテクノラボ・シーサイド弥富」を次々と竣工、次世代につながる研究開発型企業を目指し多彩な機械設備群のラインアップを図りました。
 また、経営の姿勢が評価され、1974年中小企業庁長官から合理化優良企業としての表彰を、1998年には、当時の長官である堺屋太一氏の訪問を受けました。往年には名古屋中川鉄工協同組合では理事長を務め、アイシン様の仕入先協力会では1965年の設立時から役員を、1976年から1980年の5年間には会長を務めておりました。
「今日を手掛かりとして明日に向かって営まれる追及の実績、それが未来」をスローガンに、現在のメイワに繋がる足がかりを残しました。
高品質と多品種少量生産を求められる業界において、「100年の信頼もただひとつの欠陥品で消えてしまう。だからこそ品質至上」と、経営の中心に「品質」を置き、社是である「誠実(たえず良品の供給に励み、顧客の信頼に応える)」「積極(つねに生産価値の向上を図り、協力者の貢献に報いる)「奉仕(社会のため、企業の役割と責任を自覚し、その発展に寄与する)」を定めました。
今日を手掛かりとして明日に向かって営まれる追及の実績、それが未来
1938-1970

社員を守り事業発展へ

2代目社長大山 勇二

2代目社長大山 勇二
戦後の事業復興を目指して、1947年株式会社大山製作所を会社組織として設立。自転車部品・漁網機部品・農機具等の製作販売に取り組みました。
1954年、のちに主力取引先となる新川工業(現在の株式会社アイシン)様と取引を開始、「これから自動車が一人一台の時代が来る、日本を盛り上げていくのは自動車産業だ」と仲間たちを説得し、生産品目を自動車部品にシフト、モータリゼーションの拡大に合わせ、集まった従業員と共に1969年に名古屋市港区当知に拠点を移しました。
戦後復興期の経営にて苦労を重ねる中、事業内容・経営方針として、「国家の存立の基本に貢献し、工業発展自立、経済更生の確立の一助になること」、そして、「至誠をもって、実用向け優良製品の生産増強に努力すること」を目標に掲げました。
「新時代にふさわしい多年の経験技術と斬新な設備で、希望に応じ親切な相談を実施する」という言葉を遺し、現在の盟和精工が大切にする「誰かと共に、誰かのために」という営業スタイルに繋がる考え方を確立しました。
また、「安全感を抱かれしむるが如き暖かな施設の充実という愛と精神修養の結晶」という方針の下、「工場内が安全にして健康に適するものであるか否かは従業員にとって最も重要な問題」と話し、明日も明後日も従業員が活き活きと出社する会社を思い描いて、お客様と従業員をとかく律儀に大切にする経営を明確にしました。
お客様と従業員をとかく律儀に大切にする経営
1929-1938

創業時からヒトを想いヒトと共に

初代目社長大山 兼五郎

1891年 刃物製造業者に徒弟として住込後、1902年 鋸修理工として入職。1929年 盟和精工の前身である大山製作所を名古屋市南区熱田の地に個人創業。その後、名古屋市中川区玉船町に移転しました。
創業当時はかつて職工長として勤務していた東京砲兵工廠熱田兵器製造所での経験を活かし、軍需関係製品の製造も手掛けていました。
移転後の工場は、中川運河の西岸、国道1号線昭和橋と東海通東海橋の中間に位置します。
この地に製造拠点を構えたきっかけこそ、中川運河周辺の干拓事業と更なる工業都市の発展を目指していた名古屋市の都市計画事業に貢献したいという創業者の志であり、強い想いでした。
「ぜひとも社会有用に善後対策に腐心。開墾作業に従事し、川筋一帯を見事なる鉄工業に変化する骨折りを行う(大山製作所概略(1951年作成)より)」
創業当時からの世のため人のために何事にも挑戦していく姿勢が、現在に至るまで形を変えながらフィロソフィーとして脈々と受け継がれています。
また、大山兼五郎は周辺事業主らと共に、家業の発展と会社の火災からの守護のため神社を設立しました。現在でも周辺町内会の皆さまのおかげで維持整備されています。
お客様と従業員をとかく律儀に大切にする経営

いつでもその仕事の中心には
人と人とのつながりがあって、

困っている「誰か」と共に
考えてみるだとか、
正しく「誰か」のために
なるのなら挑戦してみたい、
といった思いの集まりが
今の会社を形作っています。

人を主語に、
人にふれる ものづくり・
ことづくりを
これからも続けていきます。

世界をちょっとずつ良くしたい

人のわを紡ぐ会社 盟和精工です。

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